ブログ運営者 吉澤 摩耶 のプロフィール

吉澤 摩耶(よしざわ まや)

フリーランス日本語教師 兼 WEBサイト制作者 | イタリア在住

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略歴

1988年東京都に生まれる
1997年-2007年
(9歳-19歳)
杉並児童合唱団に在籍
児童合唱団の公演にてミュージカル主演、ソリストなどをつとめる傍ら、
外部メディア出演のお話を多数いただき活動の幅を広げる。※以下は主な出演歴。
【テレビ、CM】TBS「学校へ行こう!」「3年B組金八先生」(合唱コンクールシーン)、
「ファンタ (そうだったらいいのにな シリーズ)」「バイク王」 (歌ソロ) 他
【舞台】新国立劇場オペラ子役出演「カルメン」「ラ・ボエーム」、日生劇場 夏の親子向けミュージカル 他
【その他声の出演】ディズニー映画「ジャングル・ブック2」「ターザン2」、
こどもちゃれんじ 他
【アーティストバックコーラス】福山雅治氏、和田アキ子氏、河村隆一氏他
2010年 (22歳)都内アナウンサー養成スクールに通学
2011年 (22歳)慶應義塾大学環境情報学部を卒業
2015年 (27歳)日本での企業勤務経験 (音楽関係、太陽光発電事業等) を経たのち渡伊。
拠点をミラノに移す。
イタリア語の学習を開始
2019年大学で専攻していたはずの情報学をキャリアに活かせていない後悔が臨界点に達する。
プログラミングの学び直し開始。
2020年長年お付き合いしていたイタリア人と入籍、結婚
〜現在フリーランス日本語教師、通訳・翻訳家、Webサイト制作者として活動中。
テレビ、YouTube等のメディア出演、声の活動も再始動中。

自己紹介

本ブログにアクセスいただきありがとうございます。
このブログでは、日々私が学んだことや発見したことで、誰か他の方の役に立つかもしれないことを、記事としてまとめていきます。主にはテクノロジーと言語に関すること、ヨーロッパでの暮らしや働き方、自分の活動報告について発信していく予定です。

私の経歴に関するまとめ

経歴を見ると色々ごちゃごちゃとしていますが、要は自分のやりたいことを好きな場所で自主的にやりながら、時々企業勤めも挟んできた、という感じです。やりたいこと/やりたかったことは、歌や声を活かした活動、技術者さんエンジニアさんたちの近くで働くこと、イタリアに住むこと、言語学習、プログラムを書くことへの理解を深めるアクティビティなどです。
働き方は、最近フリーランス色がやや強くなっていますが、「自分にできることを活かして、気の合う人たちと、面白いプロジェクトに関われれば何でもOK!」と、だいたいいつも考えています。


音楽キャリアの傍ら、理系分野に強いあこがれを抱いた10代

私の場合、10歳とかなり若い段階で自分でもあまり自覚のないまま(幸運にも)音楽のキャリアをスタートできました。

いただいたチャンスをとにかく一つ一つ一生懸命やっていたその傍で、好奇心が強く、学校では数学が好きだったこともあり(得意と好きでは若干ベクトルが異なりますが…)気がつけば、理系の研究者、技術者や、エンニアリングの領域にいつも憧れを抱いてきました。

高校時代、放課後に東大主席卒の素数の研究者(現在は既に他界)に数学を習えたことを皮切りに、
大学で当時私の学部の学部長であった日本のインターネットの父・村井純氏から直接講義を聞けたことも、
この方面への憧れを強くした理由であったと思います。

偉大な理系の先駆者から教わった「シェア」や「オープンソース」などの考え方の背景には、「全体の進歩のためにはそうした方がいいから」という純粋な想いや、自分のやっている研究と人類への深い愛があると感じました。当時の私は思春期で多感な時期だったからこそ、この分野のパイオニア特有の器の大きさを、一次情報として自分の肌で感じ取っていたように思います。この時期から今に至るまで、利権に囚われず有益な情報をシェアするスタンスは、どんな業界、活動においても基本的に好きです。(私は資本主義向きの人間ではないのかも。)


広い世界に目が向いた20代

20代では、卒業旅行で初めて行った海外の国「イタリア」に強烈な影響を受けました。
日本の外にはこんな自由でロマンティックな世界があったんだ…と、ローマやヴェネチアの街を歩きながら、お酒も飲んでいないのに終始酔っ払ったような感覚で歩いていたことをよく覚えています。

そして人生や仕事、全てに行き詰まった20代半ばに、ふとしたきっかけから「イタリアに戻ろう」と考え始めました。その後はもう本当に奇跡のような縁と運の連続でした。ヴェネツィアに建築のワークショップ参加の名目で滞在できることになり、今の夫と知り合い、あれよあれよという間にイタリアに住めることになったのです。
自分ではよく覚えていないのですが当時の私はかなり多くの周りの人に「私はイタリアに住む」とか「イタリアにまた戻る」と公言しまくっていたようです。

この時期には、バックパック旅が好きな今の夫の影響で、私も旅や新しい人との出会いが大好きになりました。
そして様々なバックグラウンドの世界中の人たちと語り合ったり、一緒に働いたり、ものづくりをしたりしてみたい…という想いから、言語学習にもハマっていったわけです。

現在はイタリア語と英語のブラッシュアップに力を入れていますが、スペイン語やドイツ語、フランス語も、もっと理解したいと思いながら暮らしています。なので、たまにこの言語のネイティブスピーカーに会うと、無理やり知っている言葉で話そうとする面倒臭い人です、私。(自覚あり)


現在進行形)子育てとこの先について考え始める30代

昔から割と将来子供が欲しいと思っていたほうで、子育てについては折に触れて考えてきました。
私は自分の日本での大学生活に猛烈な後悔があり、それはなぜかというと、
「あんなに素晴らしい環境にいたのに全くちゃんと勉強してこなかった。」からです。

「自分はマジメな方だ」という自負があったにも関わらず、むしろマジメに体育会系の部活をしたり、マジメにアルバイトをしたりして、本業である勉学が完全におろそかになっていました。(100%自己責任です)

高額な学費を払って大学に行き、マジメに遊び尽くしたというのは、すごく恥ずかしいことなのだと、イタリアに来てから気付きました。特にイタリアでは、大学の「学位」に対する敬意やプライドが日本と比にならないほどあります。「大学で●●学部を卒業したから●●のスペシャリストである」「●●のスペシャリストだから今この仕事をしている」という感覚が、学のあるエリート達の中では当然の美学として扱われています。

近年完全にイタリア人に感化されている私は、「私はなんて恥の多い生涯を送ってきているのだ(イタリア人失格)」と思い続けており、ついには自責の念に耐えきれなくなったので、大学の必修であったプログラミングを、自分の好きそうな角度から学び直すことにしました。(じっくりやってみたら思ってたよりずっと面白いと気付きました!2020年、100日間毎日コーディングをするTwitterのハッシュタグ企画 #100DaysOfCode に成功しました。)

そして同時に、自分の子供には同じ過ちはさせるまいと決意し、暗記に頼らずがっつり勉強させるヨーロッパの学校教育、大学までの学校教育費が破格のヨーロッパの学校教育(※1)を受けてもらおうと、思うようになったのであります。
※1)私立が少なく公立校が一般的なため。公立大学の学費も日本より安く、国によっては無料だったりします

私はもし自分に子供ができなければ養子の可能性も視野に入れていますが、血がつながっていようがいまいが、上記の理由から、私の子供になる人はヨーロッパで学校教育を受けさせられる予定です。
ということでこの先20年くらいは、私もヨーロッパを拠点に暮らそうと思っています。

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